知恵の和ノート
国際女性デーに「何をもって男女平等と言えるのか」をつらつら考えてみた(第365話)
何をもって平等と捉えるかをしっかり考えた上で、性別や個性の違いを活かす場を作る
何をもって「平等」と考えるのかは難しい話です。
例えば、オリンピックとパラリンピック。
競技で順位やタイムを競って表彰するという観点からすれば、ハンデキャップのある人とない人が別の大会に参加するのは、「金メダル獲得のチャンスを平等にする」という点で理にかなっています。また、柔道やレスリングなど体重別に競技を行うケースは「体重の軽い人でも優勝できる」という点で平等です。
では、今何かと話題の男女平等。
最近はジェンダーフリーという言い方が増えていますが、「何をもって男女平等と考えるか」は人によって、また会社によって違います。
ちなみに、オリンピックやパラリンピックでは、ほとんど競技そのものが男女別になっていますが、そのこと自体特段問題になっていません。
さて、日本では
- 総合職
- 一般職
という分類の下、管理職になれるチャンスはあるが、転勤や部署の異動もある総合職は、従来主に男性が担ってきました。
最近では総合職の女性も増えてきましたが、私が社会人になった1986年、総合職の同期250名のうち、女性は10名ぐらいしかいませんでした。
能力的には差がなくても、結婚して、お子さんを出産する際、女性はどうしても一時的に職場を離れざるを得ません。また、お子さんが小さい時に授乳など、どうしても女性でなければできないこともあります。
このため、たとえ「総合職のうち、半数は女性にする」という平等を実現しても、「はたして、それが本当の意味での男女平等を実現しているのか」という点では疑問が残ります。
仮に育休制度などの仕組みを整備しても
家事や子育てと仕事を両立させたい
と考える人にとっては
会社の仕事をある程度セーブせざるを得ない
↓
結果として、仕事の評価にも反映される
↓
能力があるのに、それを充分に発揮できない状況にもどかしさを感じる
ケースも少なくありません。
「性別に関係なく、同じ仕事をする」というのはある意味では平等です。
一方で、「性別や個性の違いに応じて、その違いを活かす形で仕事をする」というのも、それはそれで平等と言えるのではないでしょうか。
男女平等という点では、世界的に見て明らかに後進国である日本。いまだに「女性役員が少ない」「管理職に占める女性の比率が低い」といった議論が盛んに言われています。
意思決定の場に女性が少ないことが問題視されていますが、「意思決定の場にいても意見が反映されない」など、数値的な目標は内容や実態が伴わないと、意味がありません。逆に言えば、仮に「意思決定の場にいなくても、女性の意見や考え方が会社の経営にきちんと反映されている」のであれば、それは単なる数合わせよりも意味があります。
昨日は国際女性デー。
皆さんの会社では、名実ともに女性が活躍していると言えるでしょうか?
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