知恵の和ノート
無自覚にチャンスを逃す要因は経営資源の不足ではなく、価値判断基準の自覚の有無にあり(第289話)
自らの判断基準を自覚せず、結果が情勢に左右されるのは成長が止まる人
自らの判断基準を自覚して、より客観的に思考できるのが成長し続ける人
「チャンスをつかむ人とチャンスを逃す人の違いは?」
といった記事を時々目にします。
しかし、経営者である以上、目の前に大きなチャンスが来ているのに、ぼーっとしていて気づかずに見過ごすというのは実際には少ないかと思います。
一方で、何か新しい仕事の話があった際、お金が足りない、人がいない、時間がないといった経営資源の不足によって、せかっくのチャンスを逃すということはあります。
もちろん、この場合でも
- お金が足りない→必要な金額を資金調達する
- 人がいない→社外の人に協力を依頼する
- 時間がない→今の仕事を一部止めて時間を作る
のように、本当にその仕事をやりたければ、チャンスを活かす道はあります。
けれども、実際にはいろいろなノイズが邪魔してもう一歩を踏み出せずに、チャンスを逃してしまうのです。しかしながら、このような経営資源の不足によるチャンスの逸失は経営者本人も自覚があるだけに、まだ対処方法があります。
一方、やっかいなのが、経営者が合理的な判断を下しているにも関わらず、結果的にチャンスを逃しているケースです。
次のビジネスチャンスにつながるとして、採算ギリギリで仕事を受ける場合。当初の思惑通り次の商談に結びつくこともあれば、追加の仕様変更が重なって、単独の赤字取引で終了となることもあります。
「あの社長には昔たいへんお世話になったからここは苦しくても、ウチがなんとかしよう」と男気を見せて頑張る場合。「あそこは信頼を大切にする会社だ」という評判が立つこともあれば、「あの社長はまだ考えが甘い」と足元を見られることがあります。
また、「自社でできることはココまで」と割り切って仕事を受注する場合。手堅いという評価を受けることもあれば、「せっかく売上をもっと増やせる機会をあげたのにもったいない」と残念がられることもあります。
本人としては合理的に判断して行動した場合、そこでチャンスを逃したとは自覚できません。また、一つひとつは合理的な決断であっても、いろいろな状況に応じて、結果を伴うことも、予期せぬ結果に終わってしまうこともあります。
このため、経営資源不足で行動しなかった場合と比較して、チャンスを活かしたのか、チャンスを逃したのかがとても分かりにくいのです。
しかし、一人の人間が決断している以上、そこにはある一定の傾向があるのが普通です。
- 目先の採算よりも、将来の利益を重視する。
- 困っている人を見ると、つい手を差し出す。
- 自分のできる範囲のことを一所懸命やる。
これ自体はどれも素晴らしいことです。
けれども、ちょっと見方を変えると、これらの美点は以下のようにも言えます。
- 見通しの薄い将来に期待する癖がある。
- やさしさが仇となって、無駄な力を使ってしまう。
- 自分の限界を設けて、そこから脱け出ない。
つまり、中長期的に見た場合に、知らぬ間に多くのチャンスを逃しているかもしれないのです。
このような本人が自覚しないままにチャンスを逃している場合には、その対策として、自分の価値判断の基準を言語化しておくことがお薦めです。
必要以上に将来に期待する場合、困難な状況に直面した際に何かしら理由をつけて、そこから目を背ける傾向が強いかもしれません。やさしさの裏には人から嫌われることに対する恐れが潜んでいる可能性があります。また、自分で自分の限界をすぐに設定する場合、できないことや失敗することが怖いということがあります。
これらのことは正しいか、正しくないかで判断することではありません。そして、自分の思考のベースの奥底にある感情の動きを言葉として自覚できれば、自らを客観的に見つめ直すことができます。
「もしかして自分は潜在的にチャンスを逃しているかも」と感じることがあれば、自分の価値判断の基準を言語化することにぜひ挑戦しましょう。
チャンスを逃すケースをゼロにはできませんが、思考の幅が大きく広がるので、少なくとも、チャンスを逃すケースは確実に減ります。
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