ミセルチカラの磨き方
自分でしっかり意識していないと時間はただただ流れていく
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。
先週末、親類の葬儀に参列しました。
都内の大きな葬儀場には火葬場が併設されていることもあってか、不謹慎な言い方でごめんなさいではありますが「大賑わい」でした。
本館にも別館にもその日葬儀を予定している家の名前がずらり。
まばゆいくらいに明るい館内は、式場と控室がずらり。
結婚式場なら大安吉日に何組も重なることがありますが、そこにいる人の服が「黒」ということ以外、あまり変わらない印象です。
何組もの葬儀を効率よくこなせるようにタイムスケジュールもきっちりしています。そして、それをきちんとこなせる従業員の人もそろっています。
葬儀場から火葬場への導線には商品としての骨壺のコーナーもあれば、お位牌のコーナーも何気に配置されています。
「商品を売る」ということで言うなら、マーケティングとしての効果も考えられています。
これと言って文句をつけるようなことは何一つありません。
しかし…なんだかモヤ~っとしたものが残る…。
あまりにもシステマティックだからでしょうか。
工場内でベルトコンベアーに乗せられた商品が同じように正確に出来上がっていくイメージです。
工場で作られるものであったら、その光景に驚いたりおもしろいと感じたりすることが「人生の終わり」と思うと、効率的過ぎる方法に違和感が生まれるのだと思います。
「人生の終わり」ですから、葬儀の進め方に問題があったり、従業員の態度が悪かったりすれば「これはない!」ときっと文句が出ることは想像できますが、それが転じて、システマティックな流れ作業に行きついたのでしょうか。
今のご葬儀は、家族葬が主流となって、通夜と葬儀がセットでもありません。どんどんシンプル化されています。
かろうじて、佛式なら宗派の違いはあるというところですが、それもこの先何年続くことか分かりません。
そう言えば…と思い出したことがあります。
20年前に父が亡くなったとき、実家は「真言宗」だと思っていました。父がそう言っていた記憶があったからです。
しかし、一応父の兄に確認をしたら「曹洞宗」でした。
父の思い違いでしたが、あやうく間違えるところでした。
「〇〇宗」ということを意識するのは葬儀のときくらいというのが日常であるなら、こうして教えてくれる人がいなくなってしまったら、誰も分からないということにもなるわけです。
そうなるとこのシステマティックな葬儀だって、いつまでも同じように進められないかもしれません。
葬儀の形がどうあれ、亡くなられた方への思いが変わるものではないのですが、「効率重視になると感情は動かない」ということをひしひしと感じました。
我ながら「葬儀にまでそんなことを考えてしまうのか…」とか、「自分が旅立ってしまったら分からないよね…」とか思わなくもないのですが、今を生きている私にとっては大事なことなのです。
今なら自分で決められる。
自分が今どうしたいのかを決められる。
当たり前のことですが、自分でしっかり意識していなければ、時間はただただ流れていくことになりますし、それはなんだかとっても恐ろしいと思ってしまいます。
親類のご葬儀そのものは、とても心温まるものでした。
旅立たれた83歳(女性)のその人は亡くなる前日まで元気にお仕事をされていたそう。
生涯現役、ステキな人生です。
今を迷っている時間はもったいないです。
自分の人生は自分で決める。
それを支えるのがセルフプロデュースだと思っています。
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では、今日も1日お元気で。
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