ミセルチカラの磨き方
承認欲求を満たすには他者からの「評価」も他者との「比較」も必要ない
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。
暑い暑いと言いながら、8月も後半戦。
この暑さが10月まで影響するかも?というニュースにはビックリです。
さて、みなさんも「承認欲求は誰にでもある」ということは、今さら言われるまでもなくよくご存知かと思います。「自分をもっと認めてほしい」というものですが、これを満たすためには「誰か」という他者が必要です。
「承認する」ということでは同じですが、この「承認欲求」と「自己承認欲求」と混同しがちです。みなさん、ハッキリとした違いを説明できるでしょうか?
そもそも、「自己承認欲求」は自分で自分自身のことを認めたいという感情です。本来なら「認めてくれる誰か」の存在はいらないことになります。
「自己承認欲求を満たすための基準は人によって違っても、自分自身のことを自らで認め自己信頼を高められたら、自己承認欲求は満たされる」
ネットでちょっと調べれば、こんなことを教えてくれたりします。
しかし、その自己承認欲求を満たすための基準が「社会的地位・スキル・実績・容姿…etc.」となると、私は「??????????」となります。
言われていることに異を唱えるわけではありませんが、人によって違うとは言え、そういうものを基準とするなら、実際問題として「他者からの評価」「他者との比較」が自分を認めるための多くを占めることになるからです。
仕事をする上でも、「もっと評価されたい」「自分の成果を認めてもらいたい」はあって当然だと思います。
しかし、「他者からの評価で承認欲求が満たされたら、自分を認めて自己承認欲求も満たされる」という構造の中で生きていたら、「いつも誰かに『認めて!認めて!』を発して他者の評価が無かったら満足できない」ということになります。
時にそれは、自己顕示欲というものに形を変えます。
多くの人が「評価」と「比較」を基準にするのに対して、それとまったく関係なく「承認欲求」や「自己承認欲求」を満たせる人がいます。
自分に価値があるって思える人でしょ?
自分に自信を持っている人でしょ?
と思われたでしょうか?
「評価と比較」を基準にしない人は「応援されている」ということで満たされるのです。
ただ、「評価と比較」という基準の中で生きてきた人には、頭で理解できたとしても、「何それ?」と思うのも事実。
「応援」という言葉にはいろいろな意味があるとは思います。
後押しする・味方になる・後ろ盾になる・励ます・指示する・愛する…etc.
どんな形であれ、1回そうしてもらった経験だけでは承認欲求や自己承認欲求を満たす基準にはなりません。
「評価と比較」にアンテナがあるからこそ頑張れるという人もいます。そういう人は「成果」にこだわり、「実績」を重用します。
成果を出さなくていい、実績を積まなくていいということではなく、「応援される」にアンテナがある場合には、成果や実績に対して全く違う見方をして違う意味を持っているということを知っておいてください。
特に企業という組織の中での勤めを辞めて起業した経営者には「評価と比較」を基準にする人が多いというのは実感としてあります。
こちらのページで詳しく解説していますので、「評価と比較を基準にしている」と思われたら覗いてみてください。
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世の中には「認めて!認めて!」ではない承認欲求もあるんです。
では、今日も1日お元気で。
★関連する記事は「自分の持てる力を発揮するための3つのポイントとは?」
自分の持てる力を発揮するためのポイントは、
- 「力が発揮されている」の基準を自分にする
- 実は「自覚していない」ことをいち早く知る
- 自分で自分の舵取りをする
の3つです。
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