ミセルチカラの磨き方
「感謝」は頭で考えた行為ではなく、心が吸収した感情そのもの
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。
春のお彼岸ですね。
お彼岸に旅立った人は、「良い人生を送り天寿を全うした人」というのを聞いたことがありますが、今日は父の命日です。
父が72歳で旅立ってから20年。父の七回忌ができるかどうか自信が無いと言っていた母は88歳の今を懸命に生きています。
さて、よく「成功する人は感謝をする人」と言われます。
「どんな小さなことにでも感謝をする」とか、「毎日何かひとつでも感謝を書き出す」とか、「感謝力」という名前がついたスキルになっているものも。
感謝することを忘れないための「方法」ということでしょうが、そうなってくると「純粋な感謝」ではなくなるようにも感じます。
うがった見方をするなら「忘れてしまうようなものを感謝と言うのか?」とまで思ってしまいます。
「感謝」と言うと、真っ先に思い浮かぶ言葉は「ありがとう」です。そして大抵は自分に対して何かをしてもらったとき。お礼の意味合いが強い。
特別何かしてもらっていないときには、あえて「ありがとう」とは認識しないものです。当たり前のことには、いちいち「ありがとう」とは思わないから。
だから、「ありがとう」で表現される感謝というのは、そんなにたくさんないということになるかもしれません。
「感謝」というのを「ありがたい恵みに対するお礼」ではなく、もっと広く「自分にとって大切なものへの思い」とするなら、「ありがとう」以外の言葉でも「感謝する」ことはできます。
つらつらと「感謝」について思うのは「感謝」を純粋な気持ちとしてストレートに伝えてくれる人が間近にいるから。
88歳の今を懸命に生きている母です。
母はこの4年、右半身が動きません。
日常生活には常にサポートが必要ですから、「誰かに何かをしてもらう」という状況がずっと続くわけです。
もちろん、母はお礼としての「ありがとう」を言います。
お気に入りのカフェオレを飲めば、まるで一口目のビールでも飲んだかのように「プハァ~、オ・イ・シ・イ!」
車椅子で散歩に出かけて空を見上げては「ソ・ラ・ガ、ア・オ・イ、ネ~!」
私のお手製水ようかんをまじまじと見つめながら「コ・レ、ス・キ!」と言ってパクッ。
部屋に花を飾れば「ウ~ン、キ・レ・イ、ヤ・ネ~!」と満面の笑み。
母は話を理解することに問題はありませんが、話すことが不自由で言葉が上手く出てきません。それでも、日常のごくごく小さなことへの思いを口にします。
「ありがとう」以外のことばであっても、母にとってはすべてが「感動」であり「感謝」につながっています。
母を見ていて思います。
「感謝」というのは、頭で考えた行為ではなく、心が吸収した感情そのものなのだと。
行為としてなら、当たり前過ぎて忘れてしまいがちなことにも、頭で組み立てて「ありがとう」は言えます。
でも、感情として純粋に「ありがとう」と言うなら、心がカッチカチに固まっていたら、何も吸収できませんから、言葉にもなりません。
「純粋に心から感謝する」を前提に言うなら、今日の初めに書いた「成功する人は感謝をする人」ではちょっと足りません。「成功する人=感謝をする人=感動できる人」と言いたいと思います。
お彼岸ですから、おはぎでも食べて声に出して言いましょう。
「おいしい~!」って。
おはぎのように心もやわらかに…。
なお、「最近は心が固まりがちかなぁ」と感じておられたら、「こちら」をご覧ください。
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では、今日も1日お元気で。
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