ミセルチカラの磨き方
仕事は誰かのためにするものなのか?
心意気を形にするコトノハ職人。岩井洋美です。
ニュースでは「連日の猛暑に出口は見えない」と言われていますね。
思い返してみれば去年の夏も猛暑でしたけれど、コロナで外出控えめだったことが幸いしていたのかもしれません。
先日の事、「誰のために仕事をするのか」について話題になりました。
「誰のために」というのは、マーケティングでも最初に考えることとして言われます。
ターゲットと言ったり、ペルソナと言ったり、考え方はいろいろあると思いますが、「誰のために」は「こういうお客様のために」ということになります。
では、こういうのはどうでしょうか?
「仕事は誰かのためにするものですよね」という考え方。
こう言った人は、いかにもこれが正解と言わんばかりでした。そんなの仕事の基本でしょというかんじで。
これに対して私はこう言いました。
「まずは自分が満たされていないと、本当の意味で誰かのためになんてできませんよね」
と。
しかし、「仕事は自分のためにするものじゃない」「誰かのためにするもの」という考えに変わりはないようで、「自分が満たされる」ということは理解できないかんじでした。
はぁ~、困りましたね。
そもそも「誰かのため」の「誰か」って「誰?」って話なんですよ。
文字にするとややこしいですけれど…。
「自分のためではなく誰かのため」というのは、耳障りは良いですけれど、とっても曖昧です。
「誰かのために」って言うと、すごく頑張っている、役に立っていると思えます。
「誰かのために〇〇を広める」とか、「誰かのために〇〇を楽しんでもらう」とか、それ自体は良いことなのに、どこを向いてそう言っているんでしょうか?
これがとっても大事なことだと思っています。
どこを向いているのか?
「他人の目」です。
「他人の目」とは、他人からの評価や評判ということもあるでしょうし、他人からの批判や非難ということもあると思います。
でも本人は「他人の目」に向いていることに気づいてない。
そして、自分の奥底にある気持ちにも気づいていない。他人からはできるだけ評価されたいし、良い評判なら大歓迎。他人からの批判は嫌だし、非難されるなんてもっと嫌。
「それって、単に承認欲求ってことでしょ」と思われるかもしれませんが、それほど単純なことでもないと私は思っています。
「誰かのため」にしているという認識が強ければ強いほど、本人としては「承認欲求」だとは認められないからです。
本当に認めてもらいたいのは、特定の人かもしれませんし、限られた組織やグループかもしれません。
さらに「認めてもらいたい」以外の理由、プライドを保ちたいとか、傷つきたくないとか、怖いとか、自分を守るための理由が加われば、さらに複雑になります。
そこで考えたいのは、「誰かのためにやるのは何のため?」です。
つまりこれが、「どこを向いているのか?」の正解。
目的を明確にするということです。
目的が曖昧だから、他人の目を気にします。
他人の目を気にするということは、結果として自分に目を向けているということです。
そして、他人の目を気にしながら自分に目を向けている限り、自分が満たされることはない。
なんだか哲学的になりましたけれど、今ニュースで話題のB社の問題も、突き詰めると目的がないから、自社のことし見てないからということ。本質はまったく同じです。
目的が曖昧かもしれない…というときにはこちらのオリエンテーションをご活用ください!
暑い日が続きます。
今日も1日お元気で。
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