ミセルチカラの磨き方
好きの才を貫くことは好き勝手に振る舞うことではない
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。
関東地方は梅雨明けもしていませんが、すでに本格的な夏の暑さです。
これから先の暑さが思いやられますね。
ここのところずっと「好きの才」の話をしていますけれど、その代表格として大谷翔平選手が気になるということをある社長さんにもお話ししていた時のことです。
「好きの才」は、「心底やりたくてやり続けることができる才能」のこと。私には大谷選手は、好きの才を最高の形で貫いている人と見えるわけです。
しかし、その方にしてみると「それはそんなに良いことなのか?」という疑問符が付いてしまっているようでした。
どちらかと言うと「悪いこと」に近い。
大谷選手が好きの才を貫くことによって、「野球をあきらめた人がいるはずだ」ということに着目しているからです。
「好きの才」超絶肯定派の私には、想像だにしない話の展開です。
心底やりたいのも自分。
それをやりつづけるのも自分です。
だから、「好きの才」は自分に限ったこと。
そのことによって他人がどうなるかということと本人の「好きの才」とは別の問題なのです。
実際に野球をあきらめた人がいたとしても、それはあくまでも意図しない結果であって、大谷選手のコントロール外のこと。野球をあきらめるか、あきらめないかの判断はその人自身がするものですしね。
仮に自分の「好きの才」を貫く過程で意図的に他人を蹴落とすとか、自分が有利になるようにするということがあったとしたら、それは「好きの才」をのばしてるとは言いません。ただ単に自分の好き勝手、好き放題にやっているだけです。
野球をあきらめた人にスポットを当てた社長さんは、自分を「あきらめた側の人」に投影している(…間違いなく)。
自分以外の人の好き勝手や好き放題に振り回された苦い経験がそうさせています。
私たちは他人を見た時に多くは目に見える行動と結果で判断します。
自分にとって嫌なことであったり、自分に迷惑がかかることであったりすれば、良いとは思えないのは仕方がありません。だから、この社長さんにとっては目に見える行動と結果から「好きの才を貫く=好き勝手にやる=悪」になります。
あぁ~、それだと好きの才なんて意味がない…。
今の大谷選手の活躍を見れば、自分の好き勝手、好き放題を貫いた故の行動と結果とは思えないはずなんですけどねぇ…。
そもそも、好きの才は自分に活かすものです。
「心底やりたい」を続けることがいろんな行動に結びついて、その先にあるのが結果です。
ひとつの結果が自分の望まないものであったとしても、好きの才は「心底やりたい」を続ける才能ですから、また別の行動につながって、また別の結果に。
それこそ、今の大谷選手の行動と結果だけを見たら「自分には無理!」「大谷選手だからできる!」としか思えないですよね。
確かに、まったく同じ行動をして同じ結果を得ることはできません。
でも、自分の「好きの才」だったらのばすことができるんです。
心底やりたくてやり続けることができる才能そのものは誰にでも自分の中にあるからです!
「自分に好きの才なんてあるのか?」と思われるようでしたら、「こちら」へ!
では、今日も1日お元気で。
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