ミセルチカラの磨き方
六十にして耳順わない私がいまチャレンジしていること
ヒーズ株式会社の岩井徹朗です。
私事で恐縮ですが、今週の月曜日で還暦を迎えました。
あの孔子によれば「六十にして耳順う」、年齢的には人の言葉に素直に耳を傾けるようになる年になった訳です。
しかしながら、まだ、そのような境地には至らず、人の言葉には素直に聴ける場合とそうでない場合があります。
この年齢になっても「悪い評価はなかなか受け入れられない」だけでなく、「良い評価も素直に『ありがとう!』と言えない」ところがあるのです。
そこで、孔子先生ではなく、現代の先生(?)であるChatGPTに「人の評価が気になる場合はどう対応したら良いのか?」を質問しました。
すると、以下のような対応方法を推奨されました。
1.自分自身を客観的に見る
2.他人からの評価を受け入れる
3.評価を適切にフィルターする
4.自分自身に自信を持つ
「そうだよね」と思いつつ、なかなかそれができないから、六十になっても耳順うとはならない訳です。
自分に対する悪い評価を素直に受け入れられない人は多いかと思います。一方で、良い評価に対しても、素直に「ありがとう!」と言えない人も少なからずおられるのではないでしょうか。
この点、大谷選手やイチロー選手のように誰から見てもすごい実績を残している人が周りから称賛されても「いやぁ、まだまだです」といった発言をするのと、何が違うのか自問自答していました。
私から見ると、他者の良い評価に対しても素直に受け入れていないようにも見えるのです。
なかなか答えが出なかったのですが、弊社の取締役に質問したところ、大谷選手やイチロー選手は「他者の評価をいちいちジャッジしていないのでは?」という答えが返ってきました。
例えば、私の場合、時々メルマガやブログを「よく続けておられますね」と褒められることがあります。
しかしながら、私の場合、
・一つのことを始めたら続けるのは得意だ
という自覚はありますが、逆に
・効果が少なくても続けてしまう
傾向があります。
このため、メルマガやブログを続けていることを評価されても「いやいや、たいしたことないです」と返してしまうことが多いのです。この場合、続けていることを評価してくれる他者の発言を「それは間違っていますよ」とジャッジしているのではないかというのが取締役の見立てです。
一方で、大谷選手などは
- 自分なりの判断基準がある
- 他者の判断基準は自分とは異なる
ことを踏まえた上で「すごいですね」「すばらしいですね」と言われても、それが正しいとも間違っているともジャッジしていない可能性があるという訳です。
自分に自信があっても、人から評価されないと自信は揺らぎます。
しかしながら、一流の実績を上げている人は
- 自分なりの判断基準がある
- 他者の判断基準は自分とは異なる
↓
- 良い評価も悪い評価もそれはそれとして受け止める
↓
- 自分の信じていることを愚直に実践し続ける
のかもしれません。
このように考えてみると、前述のChatGPTの答えである人の評価が気になる場合は
1.自分自身を客観的に見る
2.他人からの評価を受け入れる
3.評価を適切にフィルターする
4.自分自身に自信を持つ
が大切であるというのは妙に腹落ちしました。
私自身は自分を突き動かす原動力である「心意気」を言語化して自覚したことで自分自身を客観的に見れるようにはなりました。
ただ、2と3の部分はできたり、できなかったりという状況です。
他人からの評価を受け入れ、その評価を適切にフィルタリングするには「他人の評価をいちいちジャッジしない」というのが私なりの解決策。
これを「伸びしろ」と感じるのか、「まだ、そんな状況なの」と解釈するのは、あくまで自分次第なので、これからもさらに研鑽を重ねていきたいと思います。
なお、他人の評価が気になる場、解決の出発点は自己認識力を高め、自分自身を客観的に見れるようになることです。
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