ミセルチカラの磨き方
ベートーヴェンの「第九」の捉え方の違いをビジネスに活かす
心意気を形にするコトノハ職人、岩井洋美です。
今日から12月です。あっという間に今年も過ぎていきますね。
12月になると、ベートーヴェンの「第九」が数多く演奏されます。
クラシック音楽に詳しくなくても「第九」の「歓喜の歌」はご存じの方も多いはず。ドイツよりも日本の方が歌える人が多いと聞いたこともあります。
元々の歌詞はドイツ語ですけれど、訳された歌詞の一部がピックアップされることもあって、とても崇高な歌というイメージが強くなっています。
「すべての人々は兄弟となる」とか、「走れ、兄弟よ、あなたたちの道を喜びを持って、英雄のように 勝利に向かって」とか、「抱き合おう、何百万もの人々よ!このキスを全世界に!」とか。
ベートーヴェンが「第九」を作曲した時には耳が聞こえていなかったという逸話も相まって、「第九交響曲は荘厳で素晴らしい」に拍車がかかります。
私もこの「第九交響曲」は大好きです。
実際に私もオーケストラと一緒に歌ったことがありますが、歌っているときの高揚感は格別です。
今年はベートーヴェンの生誕250年ということで先日特別番組が放送されていたのを見たのですが、かなり衝撃だったことがありました。
数々の名曲を生み出してきた偉人であり、音楽の神のような存在とされてきたベートーヴェン。私たちがよく知る肖像画からも、それらしい雰囲気が感じられます。
でも、実際のベートーヴェンは、かなりのお酒好き、見境ない女好き、相当なダジャレ好きだったそうなんです。
さらなる、驚きは「歓喜の歌」が「お酒の神(バッカス)」に捧げられたものではないかということでした。
そうなると、「歓喜の歌」の捉え方が変わりませんか?
「すべての人々は兄弟となる」の前後も合わせて「お酒の神への歌」と想像すると、どうでしょう?
「あなたの魔法が再び結びつける
時の流れが厳しく分裂させたものを
すべての人々は兄弟となる
あなたの柔らかい翼がとどまる場所で」
まったく同じ歌なのに捉え方が変わるだけで、まったく違うものに感じます。
どちらが良いとか悪いということではありませんし、どちらが正しいとか間違っているとかでもありません。
これって、ビジネスでも同じです。
- 同じ事象であっても、捉え方次第で活かし方を変えられる
- 同じ品物であっても、捉え方次第で売り方を変えられる
- 同じサービスであっても、捉え方次第で見せ方を変えられる
繰り返しお伝えしていることですけれど、「どう捉えるか」ということで、大きな違いが生まれます。
「歓喜の歌」を「崇高」と捉えるか、「お酒の神へ」と捉えるか、どちらであっても素晴らしい曲に変わりはないわけですが、伝わる魅力は変わります。
どう捉えるか、そしてそれを魅力的にどう見せるか。
ビジネスに活かさない手はありません!
↓ ↓ ↓
「歓喜の歌」の冒頭は、バリトンソロでこう始まります。
「ああ 友よ、この音楽ではない
そうではなくて 心地よく 喜びに満ちた歌を始めよう」
お酒の神に捧げていると想像すると…おもしろい!
では、今日も1日お元気で。
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